二重振り子とSF小説『三体』
『三体』の魅力
『三体』(さんたい、英題: The Three-Body Problem)は、中国の作家・劉慈欣(リウ・ツーシン)によるSF小説の金字塔です。アジア圏の作品として初めて「SF界のノーベル賞」と言われるヒューゴー賞を受賞し、バラク・オバマやジェームズ・キャメロンらが絶賛したことで世界的な社会現象となりました。
2024年にNetflixでドラマ化され、2025年現在もその人気は衰えず、ハードSFの枠を超えた「人類文明の運命の書」として読み継がれています。
・あらすじ:物語の始まりは1960年代、中国の文化大革命の渦中です。父を殺され絶望した若き天体物理学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)は、極秘の軍事基地から宇宙に向けて人類文明の情報を送信します。
その8年後、過酷な環境で滅亡の危機に瀕していた異星文明がそのメッセージを受信。彼らは地球に向けて大艦隊を派遣します。400年後に到着する侵略者を前に、現代の科学者たちが宇宙規模のトリックと陰謀に立ち向かう、壮大な「ファースト・コンタクト」の物語です。
・『三体』作品を支える「科学的・数学的」キーワード
三体の最大の魅力は、物理学の難問を物語の根幹に据えている点です。
三体問題: 数学的に予測不能なこの現象が、一つの文明を滅亡の淵へと追い込み、物語の動機となります。
ナノマテリアル: 主人公の一人、汪淼(ワン・ミャオ)の専門分野であり、物語を揺るがす重要なガジェットとして登場します。
次元の折り畳み: 陽子を多次元展開するような超絶テクノロジーが登場し、地球の科学発展を阻害します。
・三部作の構成
物語は以下の3つのパート(三部作)で構成されており、スケールは文化大革命から数千万年後の宇宙の果てまで広がります。
『三体』: 三体とは何か?次第に明らかになる真相を追求するミステリー仕立ての序章。
『三体II:黒暗森林』: 「宇宙は弱肉強食の暗い森である」という戦慄の理論が明かされ、絶望的な状況での知略戦が展開されます。
『三体III:死神永生』: 宇宙の次元や物理法則を武器にする宇宙規模の戦いを描く壮大な物語。
この他にファンが制作して公式認定された番外編のような小説もあります。すべて知的好奇心をくすぐる良作です。
・映像作品で楽しむ
現在、以下の方法でこの世界観に触れることができます。
Netflix版『三体』: 『ゲーム・オブ・スローンズ』のクリエイターが手掛け、視覚的に分かりやすく現代的なアレンジが施されています。
原作とは異なりチームで危機に立ち向かうようなアベンジャーズ的内容に仕上がっているエンターテインメント作品です。
テンセント版『三体』: 原作を忠実に実写化した中国製作のドラマシリーズです。
「400年後に地球が滅びる確定的な危機に対して、人類はどう振る舞うのか?」という究極の問いを突きつけるシリアスな作品です。
振り子の魅力
振り子の法則の魅力は、「極限のシンプルさ」と「底知れぬ複雑さ」が、一本の糸(あるいは棒)という最小限の構成の中に同居している点にあります。
・「周期」という宇宙のメトロノーム
単振り子の最大の発明は、ガリレオが気づいた「等時性」です。振れ幅が違ってもリズムが一定であるというこの性質は、人類が「時間」という目に見えない概念を物理的に切り出すための最初の道具(時計)となりました。
「重力」と「長さ」だけで決まるそのリズムは、宇宙が持つ数学的な律動をそのまま具現化しているようで、そこに一種の神聖さ(秩序)を感じさせます。
・「線形」から「非線形」への劇的な変貌
高校物理で習う「微小振動」の範囲では、振り子は優等生のように正確な円弧を描きます。しかし、角度を大きくし、あるいは節を一つ増やして「二重振り子」にした途端、振り子は牙を剥きます。
・秩序の崩壊。線形な「予測可能な世界」から、非線形な「カオスの世界」への境界線が、単なる「物理の実験」を「哲学的な問い」へと変えます。同じ道具なのに、扱い方一つで天国(秩序)と地獄(混沌)が入れ替わる。この二面性こそが、振り子が持つ魔力です。
・「見えない構造」を可視化する力
振り子は、私たちの目には見えない「エネルギーの川」や「数学的な地図」を可視化してくれます。
二重振り子で、一方のアームが止まり、もう一方が激しく回る瞬間。それは、目に見えないエネルギーという水が、一方の器からもう一方へと流れ込んだ瞬間を目撃していることになります。
・アトラクタの美: 乱舞する振り子の軌跡を長時間露光で追えば、そこにはストレンジ・アトラクタという、数学的な美しさが描き出されます。
小説『三体』において、キーとなっている不規則な動きは、いわば宇宙規模での二重振り子と言えるのではないでしょうか。
「振り子の等時性」を信じて時計を作るように、三体文明もまた秩序を求めて「三体問題」に挑みますが、カオスという圧倒的な暴力に撥ね退けられます。
「計算できるはずなのに、生き残れない」。この不条理を、物理法則という「ルール」そのものが突きつけてくる。その残酷なまでの美しさが、振り子の法則に共通している魅力です。
振り子は、ただ揺れているのではありません。
それは、「この宇宙は数学という言語で書かれているが、その物語を人間が最後まで読み解くことは許されていない」という、宇宙の謙虚な真理を教えてくれているのです。
振り子時計の原理は、物理学的な「振り子の等時性」を、機械工学的な「脱進機(エスケープメント)」によって持続的な回転運動に変換する仕組みにあります。
単に振り子が揺れているだけでは、空気抵抗や摩擦でいずれ止まってしまいます。これを24時間以上動かし続けるために、以下の要素が連動しています。
1.動力源(重錘またはぜんまい)時計を動かすエネルギーの源です。
2.重錘(じゅうすい): 重りが重力で下に引かれる力を利用します。
3.ぜんまい: 巻かれたバネが元に戻ろうとする力を利用します。この力が歯車に伝わり、針を回そうとしますが、そのままでは一気に解けて(回って)終わってしまいます。
4.制御装置(振り子) :振り子は(振幅が微小なら)一定の周期で往復します。
振り子は、勝手に回りたがる歯車に対して「待て」と「進め」を等間隔で命じるメトロノームとして機能します。
5.脱進機(エスケープメント):振り子と歯車を繋ぐ「心臓部」です。主に「ガンギ車」と「アンクル」という部品で構成されます。
ブレーキと解除: アンクルが振り子の揺れに合わせて左右に振れ、ガンギ車の歯を一刻みずつ逃がします。これにより、針は「チッ・チッ」と規則正しく進みます。エネルギーの補給(蹴り出し): 振り子が止まらないよう、ガンギ車の歯がアンクルをわずかに「蹴る」ことで、振り子にエネルギーを補充します。この微小なキックが、摩擦による減衰を防ぎます。
温度と振幅の補正の精巧な振り子時計ほど、数学的な「厳密解」の壁に挑んでいます。
振幅の維持: 振幅が変わると周期が変わってしまうため、常に一定の角度で揺れるよう脱進機が調整されています。
温度補償: 金属の棒は温度で伸び縮みし、長さが変わると周期が変わります。これを防ぐため、伸び率の異なる金属を組み合わせた「グリッドアイアン振り子」などが考案されました。
振り子特性の応用例
振り子の「一定の周期で揺れる」「慣性を維持する」「重力の方向を示す」といった物理的特性は、時計以外にも驚くほど多様な分野で応用されています。
最新技術と融合して私たちの生活や安全を支えている例を紹介します。
巨大建築物の「制振ダンパー」(地震対策) 超高層ビルや巨大な橋の内部には、巨大な振り子が設置されています。
原理: ビルが地震や強風で揺れた際、内部の巨大な重り(振り子)がビルの揺れとは逆のタイミングで動くことで、揺れを相殺します。
実例: 台湾の超高層ビル「台北101」には、TMD(チューンド・マス・ダンパー)と呼ばれる660トンの巨大な金色の球体振り子が吊るされており、観光名所にもなっています。
フーコーの振り子(地球の自転の証明)地球が自転していることを、視覚的に証明するための巨大な振り子です。
原理: 一度振り子を振ると、慣性の法則により振り子は同じ方向に揺れ続けようとします。しかし、その下にある地球が回転しているため、地面に置かれた目盛りに対して、振り子の揺れる向きが少しずつズレていくように見えます。
実例: 上野の国立科学博物館などで実際に見ることができます。
加速度計と地震計(微小な揺れの検知)スマートフォンや自動車、地震観測網に使われるセンサーの基本原理も振り子です。
原理: 装置が動いても、内部に吊るされた小さな「重り(振り子)」は慣性でその場に留まろうとします。この「装置と重りの相対的なズレ」を電気信号として読み取ることで、加速度や地震の揺れを測定します。
MEMS技術: 現代では、ミクロン単位のシリコン板を振り子に見立てたチップが、あらゆる精密機器に搭載されています。
メトロノーム(演奏の基準) 音楽家がテンポを刻むために使うメトロノームは、振り子の原理を逆手に取ったものです。
原理: 振り子の棒に付いた重りの位置を上下に動かすことで、振り子の有効な長さを変え、周期を意図的にコントロールします。
魅力: 物理学の周期公式に従い、重りを下に下げるほどゆっくりとしたリズムになります。
重力探査(地下資源の発見)振り子の周期が重力加速度に依存することを利用し、地下の密度や資源を探る技術です。
原理: 極めて精密な振り子の周期を測定することで、その地点のわずかな重力の変化を捉えます。地下に密度が高い鉱石や、密度の低い石油・空洞がある場合、振り子の周期に微細な変化が現れます。
振り子の等時性と厳密解
振り子の等時性(とうじせい)とは、「振り子が往復する時間は、振れ幅(振幅)に関わらず一定である」という性質のことです。1583年にガリレオ・ガリレイがピサの斜塔のシャンデリアが揺れるのを見て発見したと伝えられています。
何が周期を決めるのか?振り子の長さ: 長いほどゆっくり揺れる。重力加速度: 重力が強いほど速く揺れる。重りの重さや、振れ幅(角度)を変えても、周期は変わらないというのが「等時性」の主張です。
ホイヘンス(サイクロイド振り子の発明者)は、実はひげゼンマイの実用化者でもあります。
ホイヘンスは、振り子時計が「振れ幅によって周期が変わる(等時性が崩れる)」という弱点をサイクロイド曲線で解決しようとしました。
結論から申し上げますと、物理学の厳密な視点では、振り子の等時性は「正確ではない」と言えます。「振れ幅に関わらず周期が一定である」というのは、あくまで計算を簡単にするための「近似(条件付きの仮定)」に過ぎません。
なぜ「正確ではない」のかと言いますと、振り子の往復時間を決める式には角度のsinが含まれています。高校物理では振れ幅の角度がごく小さいときだけ、sin(角度)イコール、角度とみなして計算します。この「多少のごまかし」を容認することで初めて、周期が一定になる数式が完成します。
厳密解としまして、実際には、振れ幅が大きくなるほど周期は確実に長くなります。例えば、手を離す角度が90度なら、微小な振れ幅のときよりも周期は約1.18倍(18%も)遅くなります。
「どんなに大きく振っても周期が絶対に変わらない振り子」のような等時性が完璧に成立する特殊な振り子のを作りたいなら、円軌道ではなく「サイクロイド曲線」という特殊なカーブに沿って重りを動かす必要があります(サイクロイド振り子)。通常の紐で吊るしただけの振り子は、円軌道を描くため、厳密な意味での等時性は持ち得ません。
この「わずかなズレ」こそが、科学における「秩序」と「カオス」の境界線です。ガリレオが等時性を発見できたのは、当時の測定精度ではその「わずかなズレ」を無視できた(あるいは無視して本質を見抜いた)からです。これは『三体』でいうところの、安定した「恒紀」の科学です。
現在の超高精度な物理学では、このズレを無視することはできません。ズレを正確に計算し、さらに系を複雑(2重振り子)にすると、等時性は完全に消滅して「カオス」へと突入します。
単振り子の振れ角が大きい場合、運動周期は「第1種完全楕円積分」を用いて求めるのが厳密です。
第一種完全楕円積分は、高校数学で習うような「初等関数(多項式、三角関数、対数関数など)の組み合わせ」で解く(表す)ことはできません。しかし、数学的には「解く(値を求める)」ための明確な手法が確立されており、以下の3つの方法で実用的に扱われます。
1. 無限級数による展開 母数が小さい場合、無限級数の形で表すことができます。これにより、必要な精度に応じて項数を増やすことで、任意の精度で値を計算可能です。
2. 算術幾何平均 (AGM) を用いた高速計算 コンピュータによる数値計算では、算術幾何平均 (AGM) を利用する方法が最も一般的で効率的です。2つの数からスタートし、次々に平均(相加平均と相乗平均)をとっていく操作を繰り返すと、その収束先を用いて求められます。この方法は収束が非常に速く、数回の反復で極めて高い精度が得られます。
3. 特殊関数としての定義 数学の世界では、楕円積分はそれ自体が「標準的な道具(特殊関数)」として定義されています。Python(scipy.special.ellipk)やExcel(アドイン等)などの計算ツールには、この関数を直接呼び出す機能が備わっています。
「初等関数で書き下すこと」は不可能ですが、「級数やアルゴリズムを用いて数値的に解くこと」は完全に可能であり、物理学や工学の設計現場では日常的に行われています
このように単振り子は「複雑だが規則的(楕円積分で記述可能)」ですが、二重振り子は「本質的に不規則(どのような関数でも記述不可能)」であるため、解くことが実際的には不可能です。
二重振り子の運動を解析する際にも単振り子と同様にやはり「楕円積分」が登場するのは、振り子の振れ角が大きくなると、高校物理で習うような単純な式(正弦関数など)では解けなくなるからです。
二重振り子の運動方程式を導くための中心的な式である「ラグランジアン」と、そこから導出される最終的な数式では、2つの振り子が互いに影響を及ぼし合います。
オイラー=ラグランジュ方程式を使い、最終的な連立微分方程式計算を進め、加速度について整理すると、非常に複雑な式が得られます。非線形性が複雑に絡み合っているため、綺麗な式に直すことができません。
単振り子の場合はこれがもっと単純な形になりますが、それでも解くには楕円積分が必要でした。二重振り子ではさらに複雑なため、解析的に解くことはほぼ不可能です。数値シミュレーションでの扱いコンピュータで解く際は、上の式をさらに変形してルンゲ=クッタ法などを用いて、刻一刻と変化する角度を近似計算していきます。
サイクロイド振り子とは、「振幅(振れ幅)に関わらず、周期が完全に一定になる」という、真の等時性を実現した理想的な振り子のことです。17世紀の天才数学者クリスティアーン・ホイヘンスによって考案されました。
通常の振り子が抱える「振幅が大きくなると周期が遅れる」という弱点を、数学の力で解決した画期的な発明です。
1. 仕組み:円ではなく「サイクロイド」を描かせる
通常の振り子は、糸の長さが固定されているため、重りは「円」の軌跡を描きます。これに対し、サイクロイド振り子は重りに「サイクロイド曲線」を描かせます。
サイクロイドとは: 自転車の車輪に付けたライトが、地面を転がるときに描き出す「山なりの曲線」のことです。
構造の工夫: 振り子の吊り下げ部(支点)の両脇に、サイクロイドの形をしたガイド(側壁)を設置します。振り子が大きく振れると、紐がこのガイドに巻き付き、「有効な紐の長さ」が少しずつ短くなるように設計されています。
2. なぜ周期が一定(等時的)になるのか?
物理学的に見ると、振り子の周期を一定にするには、振幅が大きくなった際に「戻そうとする力(復元力)」を、円軌道のときよりも強くする必要があります。
円軌道: 頂上付近で坂が緩やかになり、戻る力が相対的に弱まるため、周期が遅れます。
サイクロイド軌道: 紐がガイドに巻かれることで、重りは「円」よりも急峻なカーブを描きます。この絶妙なカーブによって、移動距離が長くなっても、それ以上に加速がつくため、どこから離しても同じ時間で中心に戻ってきます。
3. 数学的な美しさ:等時曲線(トートクロン)
サイクロイドは数学界で「等時曲線(Tautochrone curve)」と呼ばれます。
「どの高さから物体を滑らせても、一番下に着くまでの時間が同じになる」という不思議な性質を持っており、ホイヘンスはこの幾何学的な真理を振り子に応用しました。
ひげゼンマイへの応用: その後、彼は「バネの力を使えば、重力による振り子よりも等時性を保ちやすく、かつ装置を小型化できる」と考え、ひげゼンマイを考案しました。これにより、振り子という「巨大な装置」を、持ち運び可能な「時計」へと進化させたのです。
二重振り子は、単純な物理系でありながら、予測不可能な「カオス」を体現する存在として神秘的です。
二重振り子は、棒を2本つなげただけの極めてシンプルな構造です。しかし、その動きはニュートン力学に従いながらも、わずかな初期値の違いが時間とともに増幅され、全く異なる軌道を描きます(バタフライ効果)。
この「数式で記述できるのに、未来が予測できない」という性質が、決定論的な世界観の中に「自由意志」や「運命の揺らぎ」のような神秘性を感じさせます。
小説『三体』における「解けない絶望」である三体問題は、二重振り子と同様に非線形なダイナミクスを持ちます。
二重振り子の先端がどこへ飛ぶか分からないように、三体文明はいつ極寒や酷暑が訪れるか予測できません。この「物理法則が生み出すカオス」が、一個の文明を滅亡の淵へと追い込む絶対的な神の悪戯(あるいは宇宙の非情さ)として描かれています。
第一種完全楕円積分は、「人間が数式(関数)として記述できる限界点の一つ」にある重要な概念と言えますが、
一方で二重振り子の動きを可視化すると、一見バラバラに見えても、その背景には「アトラクタ」と呼ばれる数学的な構造が隠れていることが知られてます。
二重振り子の挙動は、一定のエネルギー範囲(初期条件)内では複雑な動きをしますが、摩擦がある場合、最終的にはエネルギーを失って停止します。しかし、初期のエネルギーが高い場合、その複雑な運動は位相空間において「ストレンジアトラクタ(カオスアトラクタ)」と呼ばれる、フラクタル構造を持った特異な集合体に引き寄せられるかのような挙動を示します。
連結された2つの棒(またはおもり)は、互いの遠心力や重力の影響を受け、一方の動きが他方をさらに不規則にします。
二重振り子の動きを角度と角速度で表した位相空間プロット(ポアンカレ写像など)では、規則的なトーラス(ドーナツ型)構造が崩れ、点がランダムに配置されたような、非常に複雑で美しいストレンジアトラクタが見られます。
カオスな運動を「位相空間(位置と速度を軸にしたグラフ)」に描き出すと、一見バラバラに見える軌道が、実は特定の幾何学的な形に吸い寄せられていることが分かります。
これを「ストレンジ・アトラクタ」と呼びます。
軌道は二度と同じ場所を通ることはありませんが、決して「ルールという枠組み」からはみ出すこともありません。カオスの中には、目に見えない「秩序の構造」が常に存在しています。
カオスな現象を拡大していくと、全体の構造と同じような形が細部にも現れる「自己相似性(フラクタル構造)」が見つかります。
二重振り子の「どの条件で回転し、どの条件で揺れるか」を地図にすると、その境界線は無限に複雑なフラクタル図形になります。
これは、カオスの中にも「ある特定のパターンを繰り返す」という数学的なルールが深く刻まれている証拠です。
カオスとは、「無限の複雑さを生み出す、極めてシンプルなルール」のことです。
この「隠れた秩序」を視覚的に理解するには、カオスの代名詞であるローレンツ・アトラクタの画像を見ると、カオスが描く不思議な「蝶の羽」のような秩序の形を確認できます。
ローレンツ・アトラクタとは、気象学者エドワード・ローレンツが1963年に発表した、カオス理論を象徴する「蝶の羽」のような形をした幾何学的構造のことです。
単純な数式から驚くほど複雑な挙動が生まれることを示し、現代科学のカオス研究におけるパラダイム(規範)となりました。
ローレンツは大気の対流を簡略化した3つの微分方程式(ローレンツ方程式)を研究中、初期値のわずかな違いが将来の結果を劇的に変える現象を発見しました。これが後に「ブラジルで蝶が羽ばたくとテキサスで竜巻が起きる」というバタフライ効果の概念に繋がりました。
「秩序」と「混沌」の同居: 軌道は二度と同じ場所を通らず不規則(カオス)ですが、決してバラバラに散らばることはなく、常に「蝶の羽」のような特定の領域に吸い寄せ(アトラクト)られます。この「決まった枠組みの中で無限に複雑に動き続ける構造」がストレンジ・アトラクタです。
この図形を拡大していくと、どこまで行っても自分自身と似たような複雑な構造が繰り返される「自己相似性」を持っています。
・位相空間における「体積保存」(リウヴィルの定理)
カオスな動きをしていても、そのデータ(位置と速度のセット)を多次元のグラフ(位相空間)にプロットすると、不思議なルールが見えてきます。
ある瞬間に集まっていた「状態の塊」が時間とともに形を歪ませても、その「体積」は変化しないというルールです。
・KAM理論(コルモゴロフ・アーノルド・モーザー理論)
これは「いつカオスになり、いつ秩序が残るか」を分ける高度な数学ルールです。
二重振り子でも、エネルギーが非常に低い場合や、特定の条件(回転比率)では、カオスにならずに「規則的な往復運動」が維持される領域があります。
この理論は、カオスの海の中に「絶対に壊れない秩序の島」が存在することを証明しました。
二重振り子の隠れたルールとは、「個々の軌道は自由奔放に見えても、統計的・幾何学的な『構造(アトラクタ)』からは一歩も逃れられない」という点にあります。
二重振り子の制作とシミュレーション
二重振り子の制作における重要点は、回転部分を低摩擦にすることです。
ベアリングを採用することで低摩擦を実現することができます。
ステンレス製: 錆びにくく、適度な重量があり安定します。
セラミック製: 軽量で低摩擦ですが、高価です。
一般的に紐で釣ることで振り子を実現したような装置は多いですが、ベアリングを使用することで機械的な装置として製造することができます。
挙動を予測したり、設計(長さや重さの比率)を最適化したりするために、シミュレーション技術が役立ちます。
ルンゲ・クッタ法(Runge-Kutta method)とは二重振り子のような複雑な微分方程式をコンピュータで解くための代表的なアルゴリズムです。
オイラー法の最大の弱点は、一言で言えば「時間の経過とともに誤差が雪だるま式に蓄積し、物理法則(エネルギー保存則)を破綻させてしまうこと」にあります。
オイラー法は「現在の瞬間の変化率(傾き)」だけを使って直進的に次の位置を予測します。しかし、実際の物理運動は常にカーブを描いています。
「直線で曲線を近似する」ため、一歩進むごとに必ずわずかなズレが生じます。二重振り子のようなカオス系では、この小さなズレが指数関数的に増幅され、短時間で現実とは全く異なる動きになってしまいます。
単振り子のシミュレーションでは、本来であれば摩擦がなければ振り子は同じ高さを往復し続けます。しかし、オイラー法で計算すると、誤差によって「本来の軌道よりも少しずつ外側」へとはみ出すことがあります。計算上はエネルギーが勝手に増え続け、最終的には振り子が勢いよく回転し始めたり、画面外へ飛んでいったりすることがあるのです。
解の不安定性計算を精密にするために「時間刻み(ステップ幅)」を非常に小さくする必要がありますが、それでもルンゲ・クッタ法に比べると精度効率が悪すぎます。
4次ルンゲ・クッタ法: 誤差がステップ幅の4乗に比例して小さくなる。
オイラー法: 誤差がステップ幅の1乗にしか比例しない。
つまり、オイラー法でルンゲ・クッタ法と同じ精度を出そうとすると、計算回数が膨大になり実用的ではありません。
『三体』に例えると、もし三体文明が計算にオイラー法を使っていたら、数値計算上の誤差の蓄積による滅亡を予測してしまうかもしれません。
正確なシミュレーションを行うには、エネルギーの保存に強いルンゲ・クッタ法を用いるのが定石です。
ルンゲ=クッタ法で二重振り子が「解ける」理由は、一気に未来を計算するのではなく、ごく短い時間の変化を積み重ねていくからです。数学的に「解けない」と言われるのは、あくまで未来の任意の時間でパッと答えが出る式(一般解)が作れないという意味です。一方で、ルンゲ=クッタ法は「今の状態から 0.001秒後だけを予測する」というステップを繰り返します。
予測しやすいラグランジュ方程式は「非線形」で、グラフにすると激しくうねっています。しかし、どんなに複雑な曲線であっても、「極限まで拡大すれば、それは直線に見える」という性質があります。1秒先の予測: 曲線が大きく曲がってしまうため、直線で近似すると大誤差が出る。0.001秒先の予測: ほぼ直線とみなせるため、誤差が非常に小さくなる。
しかし単に「今の勢い(傾き)で進む」だけだと、少しずつ誤差が蓄積して、振り子がどんどん加速したり、逆に止まったりしてしまいます(オイラー法)。
ルンゲ=クッタ法(特に一般的な4次の手法)は、現在地の勢いを確認して、その勢いで「半分進んだ地点」の勢いを2回確認する。さらに「1ステップ進んだ先」の勢いを確認する。これら4つの情報を重み付けして平均し、「最も確からしい進路」を決定する。この「途中の様子を伺ってから進む」という慎重なプロセスにより、エネルギー保存則を高い精度で保ちながら計算を進めることができます。
ルンゲ=クッタ法を使えば、コンピュータは二重振り子の動きをシミュレーション(計算)できます。しかし、ここにカオスの落とし穴があります。どんなに複雑な動きでも、プログラムは一歩ずつ計算を進めます。しかし計算には必ず「丸め誤差」が含まれます。二重振り子の場合、その微小な誤差が指数関数的に増幅されるため、1分後の計算結果は、現実の二重振り子の動きとは全く別物になってしまいます。
ルンゲ=クッタ法は「物理法則に従った『あり得る動き』の一つ」を描き出し、少し先の未来を予測することは得意ですが、それでも「すこし遠い未来を正確に予言すること」は、カオスゆえに不可能なのです。計算ステップをいくら細かくしても、遠い未来を100%正確に予測することはできない。それがこの宇宙ではどんなに高度な文明でも知的生命体が出来る限界なのです。
上部リンクページでの「二重振り子:完全解析版」のシミュレーションでは4次ルンゲ・クッタ法を用いて厳密解に近い計算が実装されてます。